韓国三日目

今日もゆっくりで、昌慶宮に向かいました。
昌徳宮は 宮殿と聞いています。
始まるのが9時からなので調度を目指していつも通り地下鉄で出かけます。
到着して どっと疲れたのは入口の門の前に50人ぐらい並んでいて、みんな見るからに日本人だった事。
同胞に特別悪意はないのですが、観光バスで纏めてきた人たちと同じだと 結構疲れてしまうからです。
かなり性格的に 海外に出たら自由になる方々が少なくないので・・・・
 
ここは少し変わった観覧方法で、ガイドが入口から付いて一緒に回る事しか許されていません。
故に、このチャンスを逃すと30分後なので 一緒に最後尾に並びました。
で、動き出して気がついたのは チケットは先に買っておかなければならなかった事。
あわててチケットをすぐ脇のチケットオフィスに買いに行って 列が切られたところにチケットを出して駆け込めば優しくうなずいて「Japanise?」ときいて通してくれました。
ここはガイド付きなのに安くて3000ウオンです。
 
一緒に中に入って説明を聞きながら順番に。
昨日も王宮めぐりだったので、少し慣れてきました。
ただ、距離は同じぐらい・・・・
全部のコースを回るには1時間20分
ざっとは 今回は写真だけで











印象に残ったのは、最初の方の建物では入り口前に車を乗り付けるためのスペースがあり つい最近といってもいいのでしょうか その時代までここは減益だったと思える事。
そして、建物の裏から奥に奥にと伸びる作りで 先へ進めば進むほど皇帝のプライベートが強くなる。
廊下が連なり、その移動も外に触れないようにできていたり、奥には池があり 書庫だけが別の建物で この辺りは何にも代えがたい財産としてあったであろうこと。
書庫の裏には皇太子の勉強部屋があって、そこで勉強しなければいけなかった事等 ロイヤルデューティという言葉はここにあったと。
奥には別荘があり、敷地内に別荘とはおかしな話ではあるが 日常から出たいときにも天子はその敷地から出る事もかなわず せめて民家(といっても富豪宅がモデルらしいが)がモデルの屋敷に行って違う気分を味わったという楽しみを持ったという程度なのは不自由と言った方が良かったのであろう。
 
幾分、日本の占領時代の傷跡などもあり 物悲しくもありました。
 
次は昌慶宮
地図で見るとなんとなく歩けそうな距離だったので 15分ぐらいですかぼちぼち歩いて移動しました。
同じくここも古い王宮です。
残念ながら解説のある時間に行かなかったのと、ほかの施設ほど元の建物が残っていない事もあり 古く格式のある建物だということはわかるもののあまり区別はつきませんでした。







どうですか?建物の看板というのでしょうか 真ん中に名前が書いてあるのですが いくつか違うのが分かると思います。
ただ、建物的にはそう違う形をしていないので 区別がつきません。
ここには保育園ぐらいか小学校の低学年ぐらいの子供たちが見学に来て、そして宮殿の中に座って話していました。
古くて最も由緒正しい建物の一つかと思われますが、最も親しみやすく感じられました。
そして、自然はやはり美しく




街の真ん中でありながら 美しい物が残っています。
 
ここから繋がっているのは宗廟です。
私にはお墓というイメージだったのですが、解説によると祭祀場という解釈が正しいのでしょうか?



一枚目と三枚目は異なるアングルですが、違う建物です。
二枚目の写真でわかる通り、小部屋毎に祭られている皇帝が異なり それが書かれています。
年に一度、ここで弔いの為の祭りが開かれるようで 皇室の子孫の方々が集まられるようです。
おごそかな音楽が流れているのですが そろそろ足が持たないのと、丁度1時ごろとなって 運動しているのでおなかがすいて動けなくなってきたので すべてを見た訳ではありませんが ここを離れる事に。