絶対なる1

この言葉は好きなんですよね。
「武術を極めると 絶対なる1に到達する」と言われているそうなのですが
修行の過程で まず基礎体力を鍛えて、その後技を覚える段階に入る。
そして、その技を極めて その流派に伝わる必殺技を会得するところまでで 普通は終わるわけです。
しかし、その先に到達したものは 絶対なる一を得て 達人に至るという物なのです。
中国拳法では 「崩拳」と言われる突き技があるのですが ひじを曲げて脇の下ぐらいの高さに拳を固めてそのまま前に突き通すというものです。
簡単に説明したと思われるかも知れませんが それもそのはずで 本当に最初に習う技の一つです。
ただ、日本の空手の突きと同様、体全体を使って打ち込むものなので 初速が遅く よくどの拳法が強いかという話題では こういう打ち方だとボクシングのパンチにはついていけないなんて話題になるあれです。
実際には、位置取りの問題はがあります。
マットの上で戦うのでなければ、高さの問題もあります。
昔プロレスラーとプロボクサーが戦った時の事を覚えたらっしゃる方がいればわかると思うのですが 地面に寝そべって戦われるとボクシングのパンチでは有効な攻撃が与えられないわけです。
「崩拳」は中国拳法では基本であり、高度な技の一つであり 前に踏み込んだ足が地面に着くまでの重力を有効に使う為に真っ直ぐではなく斜め下方向につき もちろん体をスライドさせる力、腰をひねる力、後ろからけり出す足の力 すべてをミックスして強力な一撃を放つものです。
過去には、不器用で何もできないと言われた人が この拳を歩く時も動く時も実践し続けて 一撃で人を撥ね飛ばすほどの一撃にまで昇華させ
「半歩崩拳、あまねく天下を打つ」とまで言われた名人を輩出したわけです。
いたずらに技を増やすのではなく、絶対の1を手に入れれば それだけですべてを手に入れることが出来るという意味に使われるようです。
 
昔、小学生の私にカメラの使い方を教えてくれた人がいて 今考えれば結構いい加減なこともあったわけですが 今と違って情報が溢れていない昔は 今でいう所の「オカルト」な事がいろいろとあったわけです。
例えばフィルムの温度ですが、保存に適しているのは冷間で カメラ店でもそうだったのですが 撮影には必ずしもその温度が向いていたわけではなかったのです。
クーラーバッグに大事そうにフィルムやレンズを入れていたわけですが、フィルムもレンズもいきなり暖かい所に出せば結露してしまい 外は曇りを拭けるが中はふけないとかいろいろあったわけです。
故に、「オカルト」と言ってもいいですし 今風に言えば「都市伝説」と言ってもいいのでしょう。
情報量が少ない事と、その当時の雑誌ですら そういったオカルト規格がいっぱい出ていたので まあ、それを信じてもおかしくは無い訳です。
私の叔父が、東京でカメラ雑誌の記者をやっていて そういう話を中学生ぐらいになって ポチポチ聞かせてもらって 目からうろこが落ちる思いを何度かしました。
ただ、その人が教えてくれたことの中で 忘れられず一つだけ今でも 覚えていることがあります。
 
「カメラ(ボディ)にはこれしかないってレンズが一本だけある」
って言っていたことで 実はこれもオカルトチックではあるのですが・・・・
画角も何もなくて、これしかないという一本があるっていうのがこの人の持論で このカメラにはこれっ!ってレンズが決まっていました。
勿論、そう裕福な方ではないと思われる人だったので 買っては売って入れ替えてと 大阪の日本橋の地下鉄の駅から心斎橋辺りまで歩いてレンズを探し回っていまっした。
子供心に
「合うレンズの無いカメラがあるかもしれないょ」と聞いたら 
「そのカメラは駄作だ」と取り合ってくれなかったことも覚えています。このカメラにはこれしかないというレンズがもしないカメラがあれば それは駄作で買う価値が無くカメラではないと乱暴な事を言ったわけです。
でも、ある意味カメラに最適のレンズという考え方は そうかもしれないと思う事もあるわけです。
 
NEX5を使っていて、かといってコンパクトデジカメも一緒に持ち歩いていて 持ち歩いているのはちょっと旧型で悲しい物の F550EXRと昨日書いていたカメラの旧型となります。
このカメラもほぼ同じ(と書きたい)で15倍ズームも広角24mmも使える便利なものです。
そして NEX5で取れない写真をカバーしているわけです。
正直F550EXRで取れない写真はそうは無い訳です。撮った写真を記録写真とするならですが・・
そして、景色でちょっとこじゃれたとか花を見たりとか 何かあるときはNEXを出して撮っているわけです。
で、解ったのですが 私の使い方のNEX5だけに限って言うなら 最近というか殆どズームリングを回していないのです。
それに対して、フォーカスリングはびっくりするぐらいよく回しています。
ズームの使わなさは、ISOの角設定の変更や 露出補正を軽く下回るレベルです。
何で暗めなこのレンズ使っているんだろうと思うぐらいに。
 
ちょっと前まで ズームレンズを欲しかったのですが 少し触った時のフォーカスリングの感触が気に入らなくて・・・・
そして、あちこち見て回ったものの 気の毒なタイの水害のせいで納期が見えないようです。
いつもいつもContax Gのレンズに揺れながら SEL50F18という F1.8 50mmのレンズがあれば・・・なんて思っているのです。
じゃあズームの部分はどうするんだというと、結構自分の体を使って 歩くことが多くなっているのです。
自分が近づけば、若しくは自分が遠ざかればで多くの事はそれで済んでしまうわけです。
それなら・・・・ と 手振れ補正と 明るいレンズでほしくなるわけです。
ただ、この画角は狭めなので これでいいのかと言われるとちょっと自信は無いのですが 周囲のゆがみも少なそうで・・・なんて。
 
ちょっと前まで もう少し長めのズームがあれば1本でいいな なんて思っていたのですが
実は全部の場所にレンズは対応する物の、絶対なる1ではないという事に久しぶりに気が付いたわけです。
子供の頃、35mmハーフの Olympus Penに35mmのおまけで付いていた標準レンズで遊んでいたころ。
135mmの親父のズームレンズが欲しくて欲しくて 200mmのズームレンズを買った時に 譲ってもらった気がします。
ズームというメカが凄いと思って 遠くばっかり写真を撮って 実はつまらない写真を増産して 慣れてないからだと勝手に自分で思い込んでいたことを思い出します。
レンズに合わせた写真を撮るのではなく、絵に合わせたレンズを選ぶわけです。
そして、年と共にめも弱くなってきて 自分の目でもすべての景色を見通せているわけではなくなってきて
自分の目で見通せないところをカメラのレンズ越しに覗いた景色から 欲しい絵が見つかる事よりも 自分の裸眼で取りたい絵を見つけてそこまで近づくが正しいような気が・・・
その当時、私に話してくれた人が幾つぐらいだったか全く記憶が無くて もしかしたら同じぐらいの年齢で 図分の目に合うレンズを見つけてそう思ったのかなと?
 
じゃあ私の絶対なる1はどこにあるのだろう?
それは、Try and Eroorの先にしか見つからず これを総称して「レンズ沼」と言うのだろうか・・・・
だとすると、一歩前に踏み出したような・・・・



written by HatenaSync