メガネ男子

私は目があまり良くなくて、中学生のころにはすでに眼鏡をしていた記憶がある。

いわゆる近眼というやつで、遠くのものが見えないのだ。

あまりにも長い間眼鏡をしているので しているのが当たり前すぎて気にもならないのだが 世の中にはそれは耐えられないという人も少なからずいて、コンタクトしかできないというような人も。

眼鏡をしているとわかるのだが、子供のころのほうが重い眼鏡をしていて 年を取ってというかそれなりの年になったころには当たり前のようにレンズはプラスチックになって フレームが高機能金属になった。

いわゆる、驚くほどに軽くなったのだ。

ともあれ、眼鏡にも限界があって 眼鏡のレンズのないところで目のカバーできる範囲いわゆる真横に近い場所にはレンズがなく見える範囲には限界があるのだ。

最近のスポーツグラスなどは当然度が入っていないものだが 目の周りや上下も目をカバーするようなものもありどちらから入る光もうまくさばいてくれている。

 

今更何の眼鏡と思うかもしれないが、実はメガネはかなり注目を浴びてきている。

いわゆるスマートグラスというやつだ。

一つは機材の小型化で 本当に眼鏡に取り付けるモニターが表れてきている。

私が持っているVUEFINEもそうだが、本体だけならそろそろ気にならない重さになってきている。

もちろん、バッテリーや映し出すソースが別というものが多く 眼鏡だけで完結するわけではないものが多い。

それでも、Smartphoneのように手に持ったり視線を移さなくてもよいのが良い。

そして、小さな端末をのぞき込むとそちらに目のフォーカスが行くので 周りの者へのピントが合わなくなり危ない状況に陥ることも多いのだ。

一時期はやって、醜いのであっという間に消えてしまった車のスピードメーターがフロントガラスに映し出される機能などはそういった面もあるわけです。

 

いま、そういった眼鏡が注目されている点には大きく二つあると思っていて

一つはディスプレイとして Smartphoneなどの機器の限界が見えてきたことと もう一つはカメラ側の機能によるものだと思う。

機器の限界という意味では、手のひらサイズの携帯性を求めるものの 情報量を増やすために大きな画面を必要としている。

新聞ではないが、紙の媒体は大きなものを全体的に見渡して 読みたいところだけを見るような用途には向いているのだ。

そういう意味では、ページめくりもそうで全体のボリューム感を目で追わなくても手の感覚で大体半分とか見ることができるのは紙の利点なのだ。

今の携帯機器にはそういった利点をかなえるための手段が限られている。

確かに、折り畳みで広げることができるようになれば便利にはなるだろうが 頑張っても新聞紙大にはならないのだ。

したとすると折り畳みが大変になってしまうからだ。

ゆえに小さな画面に多大な情報を詰め込んでゆくために 文字が必然的に小さくなる。

もちろん、文字というものを捨てればその問題は解決するのだが 動画だって小さければ同じなのだ。

では、スマートグラスだとどうかというと 目に近いところに画面を置くので 新聞紙大どころか 300インチ相当の映画館のように感じる画面を作ることもできる。

もちろん、その画面の向こう側も見るということになれば無軌道に大きくすることはできないが 新聞を読むというポーズで座ってみるなら同じサイズでOKだし、椅子に座って映画を見るのであれば500インチの画面でもOKなのだ。

そして、周りの人に見られることもないというのも利点であろう。

 

カメラに関しては、最近テレビのロケでもよく見るがアクションカムというのが非常にわかりやすいのではないかと思う。

普通に、ロケの時に持っているものでまるで人が普通に歩いて周りを見ているかのように見えている。

ジェットコースターであれ、バンジージャンプであれ、街中の散策であれ すべて自分が体験しているかのように見えている。

もちろん、テレビという小さな限られた画面サイズだからできることで目の前に広げようと思うと違う話にはなるのだがそれは写す媒体の問題で前述のように目の前すぐにあるならその問題は解決するのだ。

そして、この時に大事なのは手振れ補正の技術だ。

人の眼球は 自由に角度を変えることで歩いているときも被写体をとらえ続けている。

視点を固定して、体の動きに合わせて角度を変化させているのだ。

いわゆる、ジンバルと同じことを目の玉の中でやっている。

センサーは体の動きを全身で感じ取って、それに合わせて眼球が動いているのだからよくできたシステムである。

これをカメラでやると当然上に動けば画面も上に動いてしまう。

ジンバルは3軸なら加速度センサーでとらえた動きを モーターでカメラを動かして補正している。

あまりにも速い動きだと追従できないのだが 人もラリーカーでプロの運転で走り回るようなことをされれば追従できないので 程度ものだなのだ。

メカ式ではそうなのだが 電子式の場合同じことを大きめに撮影した画面の被写体を中心とした部分で切り抜くことで動いてない画像を取り出す方法でメカがなくてもある程度の効果を得ることができる。

用意したカメラの最高解像度が下がってしまうので嫌う傾向ではあるが、Smartphoneでもそうだがカメラを3つも4つもつけて 作られる画面が一つというならそれぐらいの無駄は許されるわけだ。

 

目の前にまるで揺れてない画像が映し出されるとするなら そして、それのフォーカスが思ったところに合うとするなら 実際のところ今かけている眼鏡もいらないわけだ。

見たい場所が目の前に映し出されるのなら 自分の目で直接見る必要がないわけだ。

最近よく登場している360度カメラなどで見るとすれば 目の前のモニターが目を囲うようにあるとすればなのだが 眼鏡のように見えるところ見えないところの切り替えをする必要がないわけだ。

私などは近眼であり最近は年のせいで老眼なのだが、それだって何の問題も無いわけだ。

全ての世界のフォーカスは綺麗にあっているのだから。

今のところでは、画面を大きくとると解像度が下がってしまったり 手振れ補正も人の目ほどの性能はない。

もう一つ、暗いところや明るいところに対応する幅がカメラでは広くない点が問題にはなるがそれも技術が遠くない未来に解決してくれるであろう。

なぜなら、よく考えればなのだがなにも体についているカメラでしか見てはいけないわけではない。

周りについてる監視カメラの映像も利用できるなら使えばいいし 人がかけているスマートグラスの映像を借りてきてもいいわけです。

合成するのはAIの得意とする分野だからだ。

 

私は小さいころから眼鏡をしている。

眼鏡なんて邪魔で重くてとか言っていた コンタクト派の人たちにこれで一泡吹かせることができるかもしれないとひそかに期待はしているのだが、いずれ コンタクトにそういう機能が付いた時にやっぱり言い返されそうな気がしたので黙っておくことにしようとそっと胸にしまったのだ。