人は自分の見たいものを見る

というローマ時代の言葉が有ります。
久しぶりに人に使って振り返ってみると、多少赤面してしまいました。
まあ、若い方が身を削ってPDAにはまってらっしゃるのを見て、随分良い(か悪いか)おじさんになって、労力をお金で買うような事をしていると随分恥ずかしい買い方をしているなと思う今日この頃。
まあ、それはさておき やはり欲しくなると 何のかんの言いながら結局買ってしまう。
勿論、自分の働いたお金で自分が買っていますし、一歩引いた立場から見て冷静に効果を検討して購入するのであれば 随分高い手帳である。
ましてや、色々な機能の為に下手をすれば本体より高いお金をつぎ込んでいるのである。
しかし、そんなことを言っていれば人生楽しくないし、欲しい物を買った時の快感に比べれば 瑣末な事のような気がします。(しちゃ駄目だと思うのですが)
最近、恐れているのが 進歩の終焉です。
簡単に言うと、例えばこの機種にこれが付いていればよかったのにがみんな叶えられてしまうとどうしたらいいんだろうと思ってしまうところです。
例えば intelから出ている2700Gマルチメディアプロセッサーを搭載したPDAが出れば VGAサイズでの動画再生(MPEG2相当)は裕にこなすことになってしまいます。
この前提条件には支えきれる、メモリーの速度、読み出しメディアの問題そして電池の問題もあります。
ただ、その3点ともが現在、改良方向に向かっている物なので、いずれ解決するでしょう。
PDAに動画が必要かどうかの問題を別にすれば、そこが終着点になるでしょう。
一応、夢の技術として PC上でも殆どかなえられていない3D動画とかが存在すればまた変わってくるでしょうけど、機能的上流に値するPCでも、ハイエンドからローエンドまで、かなえる機能の差が少なくなっているのでしょうがないことでしょう。
でこのように、終着点の見えている機能がいくつかある中で もし、全部が終着点になったら 購入する物がなくなってしまう。
そうした時に如何すれば良いのでしょう。
まあ、これこそ無駄な心配で、もしそんな事になればあちこちの会社が潰れてしまうので 新しい商品を開発して新しい市場を作って行くのです。
買う物が変わるかもしれないけれども、やはり購入する物が出てくるのです。
冒頭に、「人は自分の見たいものを見る」と書いていますが、本来の意味は 自らの思い込みが強いと、自分の中で真実を捻じ曲げ、見たものを曲解する もしくは 見たくないものから目をそむけて見るというような意味なのですが(別に辞書を引いたわけではないので、詳しくは違うかもしれません)
概ね、欲しい物があるときにはこういう状態に落ち込んでしまいます。
欲しい物も、人の関係も 目が曇ると正しい判断が下せなくなるのですが、「人はどちらの道を選んでも後悔する」と言いますから 同じ後悔なら、買ってからの後悔のほうが精神的には良いですよね。お財布には良くないけど・・・