Product−X 挑戦者たち 中編

「検証!BenQ突撃隊よ!敬意をこめて「けんべん隊」と命名しよう!」
 
ここに一人の男がいる。
自ら海外に飛び、検Ben隊の先駆者として単身気を吐いていた男が。
遠い西の空から、余りにも多いそして余りにも強い意志に導かれて参加した男A氏。
もちろん、検Ben隊としてではなくそのオブザーバーとして彼らを導く指針として登場した男。
全くの手探り状態の検Ben隊に、その進むべき道を示す道しるべとして。
そして名づけた、みんなのことを検Ben隊と。
「検証!BenQ突撃隊よ!敬意をこめて「けんべん隊」と命名しよう!」
 
「BenQ P50」は到着した。それは幾度か変更になった後28日の日にKIX 関西国際空港を経由して、P氏の下に。
もちろん、その日のうちに日本全国の検Ben隊の元に送られた。
しかし、その日のうちに検Benできた隊員がひとりいた。
わざわざ、それを引き取るために動いた男が。運よく近いところに住んでいただけだという訳ではなくその熱意が彼を突き動かしたのであろう。
彼の名は M氏。
しかし、彼が先に手に入れたばっかりに誰もが知りたくなかった事実をいやがおうにも知らしめることと成った。
 
「日本語化は出来た 確かに出来たんだ」
喜ばしいはずの報告が、何故か総て薔薇色の台詞には聞こえなかった。勿論、翌日に到着するBenQ P50のことで頭は一杯の筈だった。ただ心の奥底に刺さる小さな棘のようなものが残っていた。
検Ben隊の多くは翌日29日の未明にはその手に BenQ P50を手にすることが出来た。
そして、恐る恐る試してみた。
「BenQ P50ではATOKが動かない」という事を・・・・

Blogには
多くの写真が上がった。
「思ったより小さい」、「液晶ははっきりしている」、「キーボードは光ります」、「思ったより分厚い」 等々・・・・・
専用に用意されたBBSは活況を見せた。
それはあくまでも、外観についてのレビューだった。
ATOKに関するものは やはり「動かない」の一言だけだった。
 
日本語化は思ったより順調に作業が進んだ。
A氏の簡単日本語化キットの導入で簡単に日本語化する人、レジストリーをいじることから始まる本格派の人まで、漏れなく日本語化を可能にした。
ただ、キーボードの操作を別として。
キーボードを司るプログラムは、立ち上がるたびにIMEを切ってしまう。そういった仕様だということが判明するまでには多くの時間を必要としたわけではなかった。
「PQBOXが使える」「日本語の入力が出来る」
IMEとして動くのではなく アプリケーションとして動くPQBOXはその仕様のおかげで日本語入力を可能にした。
しかし、何かが違った。
 
ATOKの歴史は、一太郎と共にあるといっても過言ではない。
日本人の為の、日本製のプログラムといううたい文句の一太郎は 日本製ワープロソフトの最後の砦である。しかし、その人気を影から支えたのはATOK 日本語入力ソフトである。
過去にFEP(フロントエンドプロセッサー)といわれていた時代から、IMEと呼ばれる時代の変化すら本質を変えないことで生き残ってきたものである。
時にMACユーザーにとっては、「ことえり」と呼ばれる 日本語入力ルーチンを変更する唯一の、PDAユーザーにとっては標準のIMEを よりパワーアップするための唯一無二の手段だったのだ。
もちろん、標準の日本語入力プログラムも年を負うに従って少しづつ良くなってゆく。しかしATOKはそれを上回り 推測変換という新しい武器をPDAに提供した。
そして、それを好むユーザーの事を考えずに 日本語化という偉業を成し遂げたことに成るのか。
その事だけが頭の中を駆け巡り、自問自答を繰り返していたのは、検Ben隊でもいつの間にかリーダーと呼ばれる K氏だった。
 
その間に、大きく事態は変わっていた。
M氏の参加はA氏と共に中国語のマニュアルを解読にあたり、プログラムを作れる人たちはいくつかのトライを既に始めていた。
方法は違っても総ての隊員の向かう先は一つだった。
日本語化を進めるんだ・・・・・