腐れ縁

JRの駅に着いててからも何度か背後を振り返った。
いつ襲ってくるかもしれない。
ホラー映画の見すぎだろうか?
 
考えたら長い付き合いである。
大学に入ったら、いきなり隣の席に座ってきたがさつ女が彼女である。
名前も知らない時からの知り合いである。
ただ、ゴムで無造作に髪をくくっただけ。まだ肌寒い季節なのに袖の少し長いだけの七部袖のTシャツに肩からかけたカーディガンに ジーンズといったラフな格好。
ジャラジャラした光物を腕に巻きつけていると思ったら、車の鍵だった。
シトロエン」のマークのついた鍵がついていた。
車に興味のあった俺はそのマークに目を引かれた。
女性がシトロエンに乗っているんだ・・・・
AXという小型シトロエンが発売されたころだったからそう思った。
シトロエンは昔から「化け猫」と称されるように抜群の乗り心地を支える為の複雑な仕組みが故障の温床になりやすく(本当はただのメンテナンス不良とは思われるが)壊れやすいものの代名詞と言われたりした時代もあった。
「AXですか?」
つい、キーを見て聞いてみた。
視線はこちらを向いているが何の返事も無い。
話しかけたのが失敗だったのか、聞くことが間違いだったのか?
彼女は瞬きもせずにこちらを見ている。視線をそらすことも顔の表情を変えることも無かった。
私の目を見たまま数秒のときが過ぎた。体感なのでほんの僅かな時間だったかもしれない。
「その鍵」
たじろぎながら少しでも視線をそらす様に鍵を指差した。
「あっ、車ね」
理解したようで すこし顔が笑顔に変わった。
彼女は車の種類を知らないようだった。
「こんなの」と言って僕のノートの裏側にさらさらと書き出したのは車の絵。
独特のフォルムとテールゲートの少しを書いたところで車種が特定できた。
「BXですね」
彼女の手が止まって視線をこちらに向けた。
正直彼女の視線は強く、今でもそうだがこちらの目を常に見て話すスタイルだ。
圧倒されて話しにくいことこの上ない。
「よくわかるのね、車詳しいんだ」
と言われて次に続く言葉を思う浮かべることが出来なかった。
「変態女って訳ですね」
 
今から考えれば車のことに詳しくない時点で言葉を選ぶべきだったと反省した。
ただ、その一瞬で僕の大学生活の多くが決定されてしまったことは確かである。
肌色の塊が彼女の方向 左目にいっぱい広がった瞬間に
「パァァァァン」と乾いた音がして少なくとも左目はしばらく使い物にならなくなった。
反対側の目のところから押し出されて目が飛び出さなくてよかったと思う。
大講堂に響き渡る音であった。
瞬間、大学の説明会が中断し、立ち上がった彼女のみが全校生徒の中に浮かび上がり何があったかは誰の目にも明らかであった。
彼女に4年間恋人が出来ないことには別な理由があると思うが、俺に4年間恋人が出来なくなったのは彼女のせいであることは間違いないであろう。
誰がどう見ても、痴話げんかである。
 
「がはははは」
彼女の豪快な笑い声を聞いたのも結局その日。
あまりにもあけすけな質問に違和感を感じた彼女は事情を聞きに来た。
今でもある自分の疑問に関しては我慢できない性格を物語るものであり 普通の女性では考えられないことではある。
シトロエンの車 それもハイドロ系のファンの事を、進んで火中の栗を拾うタイプとして「変態」と敬意を込めて呼ぶこともあることを説明することが出来た。
ようやく自己紹介をすることが出来た。